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Au revoir ベコー


"Et maintenant que vais-je faire? "(そして今はどうすればいいんだろう)
"Maintenant que tu es parti" (きみがいなくなった いま)

"Quand il est mort, le poète" (詩人が死んだ時)
"Tous ses amis pleuraient...." (友達はみんな泣いた・・・)
"Quand il est mort, le poète" (詩人が死んだ時)
"Le monde entier pleurait" (世界の人たちが泣いた)

Moi aussi, quand tu es mort, M. BECAUD, je pleurais. (私もベコーが死んだ時泣いた)

ジルベール・ベコーとの出会いのきっかけは、私がフランス留学中にベコー所属事務所で行われた89年来日コンサートツアーの打合わせの通訳だった。

そして1989年11月2日ジルベール・ベコー来日。

プロデューサーの武原さんと修平さんと共に、成田国際空港までジルベール・ベコー、ミユージシャン、スタッフを出迎えに行った。

東京へ向かう車の中で、偉大な世界のスター、ベコーはちょっと緊張気味な私に「友達のように気さくに " tu " で話して」と言ってくれた。

1989年11月3日、東京・オーチャードホールで行われたコンサートを皮切りに10日間にわたるコンサートツアーの幕が開かれた。そして北海道、横浜、名古屋、京都、大阪を、一緒に駆け巡った。

コンサートツアー移動中、ベコーの荷物はすべてスタッフが運び、彼は手ぶらだった。 紳士的でとてもやさしいMonsieurは、私の荷物に気づくとすぐに「女の子に荷物を持たしたらだめだよ。僕に貸して。」と言って私のかばんを持ってくれた。

コンサート中は、彼の舞台監督であるエリックと共に、舞台のソデで彼のコンサートを見守った。

2〜3曲ごとにベコーは私達のいる舞台のソデに戻り、咽をウイスキーで癒し、大好きなタバコをふかして、再び舞台でエネルギーシュな歌を披露していた。

舞台裏は通常禁煙になっており、私はよく会場スタッフに注意されて困ってた。でも偉大なアーティストのエネルギーの元を奪う訳にはいかない。そこで私は、彼に「見つからないように・・・、s'il te plaît .」とお願いしてしまった。

素晴らしい曲を10日間に渡り聞きながら、ジルベール・ベコーと共に時を過ごすことができ最高に幸せだった。

最終日、1989年11月12日に彼らを大阪国際空港まで見送りに行った。

ベコーは私に優しく抱きしめ言ってくれた。

「Au revoir et Merci.  Mon bébé, Rié.」

"Quand le spectacle est terminé" (ショーが終わった時)
"Les bravos envolés." (喝采は飛び去り)
"Et je pense à d'autres miracles" (別の奇跡のことを考える)
"Et je rêve à d'autres spectacles" (次のショーを夢見る)
"Demain tout va recommencer" (明日すべてがまた始まるのだ)

Bravo et Merci mille fois, M. BECAUD. (ブラヴォー、そしてどうもありがとう。ベコー)

Rié

そして天国でも素敵な曲を歌い続けて下さいね。
心から御冥福をお祈りいたします。

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